スズキが描く逆転戦略、東南ア攻略、ミャンマーから、安価な労働力テコに。

2013/10/18 日本経済新聞 朝刊

スズキが出遅れていた東南アジア市場で反攻に出る。日本車が8割を占める同地域でシェアはわずか5%弱。巻き返しに向けた突破口は民主化・経済開放で注目が集まるミャンマーだ。日本車として一番乗りで小型トラックの現地生産を開始し、新工場の建設も視野に入れる。タイなど主要市場に出遅れた分、ミャンマーの安い人件費などをテコにした逆転戦略でアジアのモータリゼーションを取り込む。


 ミャンマーの最大都市ヤンゴン中心部から車で40分の南ダゴン工業団地。古びた工場内で従業員が手押しの台車に載った車体に近づき、溶接の火花を散らす。現行モデルより5代前の小型トラック「キャリイ」が次第に完成車に近づいていく。


 ●15年越しの再挑戦 キャリイは先進国メーカーとして同国初の現地生産車で5月に出荷を始めた。これは15年越しの再挑戦。1998年に国営企業と合弁事業を開始し累計6千台を生産した。しかし外貨不足の同国政府が部品を輸入に頼る合弁契約を延長せず2010年末に清算した。


 あきらめないスズキは駐在員を残し、居座る格好で設備を手入れし続けた。単独操業への切り替えを粘り強く交渉し1月に認可を得た。


 その後4カ月で操業できたのは合弁清算時に解雇した従業員の存在だ。スズキの呼びかけに応じ約40人のうち8割が復職した。「経験者なので特別な訓練は不要。本当に助かった」(現地法人スズキ・ミャンマー・モーターの浅野圭一社長)。失敗した合弁事業の思わぬ「遺産」だった。


 ただし裾野産業のない同国で調達できるのは印刷物ぐらい。ガラスやタイヤはベトナム、バッテリーはタイ、塗料はマレーシアから輸入し、他は日本から持ち込む。世界の自社工場で「自動化率ゼロ」はここだけ。生産は1日10台が限度だ。


 困難な状況にもひるまず先行者の地位を死守したのは、インドでの成功体験が大きい。同国政府との合弁で「マルチ・スズキ・インディア」を設立し83年に小型車生産を始めた。当時は所得水準が低く車は普及前夜。潜在力に着目したスズキの鈴木修会長兼社長が「大手メーカーより先に」とリスク覚悟で決断した。


 その後、日本車他社や欧米韓の大手メーカーもこぞって参入したが、先行したスズキの生産・販売力は圧倒的。暴動事件があった昨年も乗用車の販売シェアは39%と2位の韓国・現代自動車(15%)を引き離す。


 ミャンマーで再現は可能か。先発メーカーの強みを生かすシナリオが水面下で動き始めている。
 「自動車産業を育成したいなら、中古車輸入は禁止すべきだ」。5月26日、鈴木会長は安倍晋三首相とともに首都ネピドーでテイン・セイン大統領と会談した。安倍首相のミャンマー訪問に同行した日本企業40社のトップの一人に名を連ねた鈴木会長は、産業政策について直談判した。


 実は鈴木会長は首相より一足早くミャンマー入りしていた。ヤンゴン近郊で日本が開発する「ティラワ経済特区」の予定地を視察。高台で幹線道路沿いの“一丁目一番地”に立ってうなずいた。「うん、ここがいい」


 ●経済特区で用地確保 同社はティラワに80ヘクタールの用地を確保する方針。自社と関連部品メーカー群が一体となった工場進出の受け皿とする「スズキ村」構想を温める。インフラや関連法制の整備を待って決断する。


 スズキは同拠点の長期的な活用法をまだ明らかにはしていない。ただすでに東南アジアに強固な基盤を築くトヨタ自動車などに出遅れた分、各国の地の利を見極めた機敏な戦略が取れる。


 15年に東南アジア諸国連合(ASEAN)経済共同体が創設されれば、現在5~25%の部品輸入関税はゼロ。周辺国から部品を輸入しやすくなり、安価な労働力を生かし労働集約型の部品はミャンマーから輸出できる。日本貿易振興機構(ジェトロ)によると同国の一般工場労働者の人件費は月53ドル(12年時点)。ジャカルタやバンコクの4~6分の1となる。


 同国の潜在力に着目し、日産自動車も提携先のマレーシア企業を通じて15年から乗用車を生産すると表明した。日産によると同国市場は大半が輸入中古車で年約12万台にすぎないが、今後は新車が増え「中期的には30万台規模に拡大する」(カルロス・ゴーン社長)。


 自動車の主戦場が新興国へ移る中、大手の動きもこれまで以上に敏速だ。現地生産で先んじた鈴木会長は、すでに持っている工場と販売網で「今のうちに技術者や営業マンを育成しておく」と強調する。新興国の攻め方を知り尽くしたスズキの真価が問われる。